オンラインとオフラインのはざまで

「ウェブ・オリエンテッド」とは、全てのサービスがオンラインベースになることを意味しているのだろうか。全てがオンライン環境になることで逆に不便なことも発生するだろう。実際、私自身、通信環境がないところで、ウェブ・メール、オンライン・カレンダー、ウェブ・オフィス・スイートが使えずに困った経験をした。航空機の中など一時的にオフラインになる場合に、それまでオンラインでやりとりしていたデータが全て消え、一からやり直しになるのは本当に困る。

そこで、オンラインとオフラインのはざまをシームレスにしようとする試みがいくつか登場している。トレンドの一つ「ダイレクト」のところで紹介したが、アドビ・システムズ(Adobe Systems)が研究中のエアー(AIR: Adobe Integrated Runtime)と呼ばれるRIA(リッチ・インタラクティブ・アプリケーション)を作成できるクロス・オペレーティングシステム・ランタイム(cross-operating system runtime)がその一つである。

オンライン・サービスの代表格であるグーグルも、2007年5月にグーグル・ギアス(Google Gears)というオープンソースのブラウザ拡張機能(IE又はFirefoxで作動)をベータ版で発表した。これは、JavaScriptのAPI(アプリケーション・プログラム・インターフェイス)を利用して、ウェブ・アプリケーションにオフライン機能を提供するものである。例えば、グーグル・ギアスをダウンロードした後、グーグルのRSSリーダーであるグーグル・リーダー(Google Reader)にアクセスすると、データのダウンロードが可能となり、ローカルなデータにアクセスすることでオフライン環境でもグーグル・リーダーを利用することができる。今はグーグル・リーダーのみ対応可能とされているが、今後、Gメールやグーグル・ドックス・アンド・スプレッドシートがグーグル・ギアスに対応するようになると、オンライン・オフラインのシームレス化のメリットを感じるユーザーが増えるだろう。

マイクロソフトもポップフライのところで紹介したRIAを実現するクロス・プラットフォームであるシルバーライト(Silverlight)をオフライン環境でも利用できるようにする計画をもっているようだ。

このようにオンラインとオフラインのはざまをシームレスにするプラットフォーム開発競争が進んでいる。SaaSのところでも紹介したが、マイクロソフトは、「No Software」を標榜するセールスフォースに対抗して、Software Plus Service戦略を打ち出した。まだ、同社の戦略の詳細は明らかになっていないが、グーグルですらオフライン環境を意識しているということは、ソフトウェア全てがサービス化するという極端な考え方があまり現実的でないという見方ともとれる。大きなトレンドとしては、「ウェブ・オリエンテッド」な方向に時代は変化していることは間違いないが、ウェブベースに総置き換えとなる時代がすぐに来るという訳ではないのかもしれない。

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Enterprise2.0を支えるQEDWiki

マッシュアップは個人利用に止まらない。今後、企業内でマッシュアップのビジネス利用が伸びることを狙って、IBMはアルファーワークス(alphaWorks)・サービスとしてQEDWiki(Quick and Easily Done Wiki)と呼ばれるマッシュアップ・プラットフォームを開発した。いわゆるエンタープライズ2.0である。

QEDWikiは、特別なソフトウェアのインストールを要しない。ブラウザベース(インターネットエクスプローラ又はファイアーフォックス)でマッシュアップができるウィキ・フレームワークである。マイクロソフトのポップフライ同様に、プログラミングの知識がなくても簡単なドラッグ&ドロップの操作でマッシュアップができることを売りにしている。

マッシュアップ・プラットフォームとしてのQEDWikiには、3つの特徴があると説明されている。一つは、プログラミングの知識がなくても、ビジネス上の課題を解決するために、簡単にデータやウィジェットを持ち寄ったりすることができるというアセンブリーな性格を持っているという点。IBMのアルファーワークス・マッシュアップハブ(MashupHub)のレポジトリ内にあるウィジェットを利用することもできるし、自分で新たなウィジェットを作成することも容易にできる。2つ目は、全く異なるデータを関係づけて、リッチでインタラクティブなアプリケーションを作れること、そして3つ目は、他のユーザーからの利用によりマッシュアップを促進することである。

例えば、小売店舗の経営者が、各商品の売り上げとその日の天候との関係を分析したいと思えば、各商品の売り上げデータと過去の天気情報とをQEDWikiに呼び込み、相互の関係の有無について視覚的に判断することが容易になる。QEDWikiを利用することで、生産性や効率性を上げることができ、タイムリーな経営判断にも役立つという訳である。

マッシュアップは、グーグルマップと組み合わせた事例がよく紹介されるために、コンシューマー利用での利便性がクローズアップされる場合が多い。しかし、QEDWikiが狙っているように、マッシュアップは、ビジネス利用としても有用である。全く異なる情報どうしを並べることで、相互の関連性が「見える化」され、経営改善につなげる。これは、エンタープライズ分野では、SOA(サービス・オリエンテッド・アーキテクチャ)と呼ばれるソフトウェアをサービスと見なして関係づけるテクノロジーと同様の思想を持つものである。その意味で、QEDWikiは、ウェブ2.0とSOAとをつなぐ技術であると言ってもいい。企業内のIT部門以外のスタッフでも、容易にマッシュアップを構築し、業務分析に利用できるということは、現場での生産性を向上させるツールになるだろう。

Popflyで誰でも簡単にマッシュアップ

いわゆるウェブ2.0の代表格であるマッシュアップ(Mashup)の本質は、他人任せにすることだと以前に述べた。もともと複数の曲を合成して新たに一つの曲を製作するという音楽用語から派生したマッシュアップは、ウェブの世界では、異なるウェブ上のサービスを公開されたAPI(アプリケーション・プログラム・インターフェイス)を通して組み合わせ、一つのサービスのように提供する他人任せのテクノロジーである。半導体技術にしろ、ソフトウェア技術にしろ、ある一定の役割を果たす複数のモジュールを、インターフェイスを通じて組み合わせて利用する手法があるが、マッシュアップは「ウェブ・オリエンテッド」な時代のモジュールの組み合わせであると言い換えることもできる。

マッシュアップの初期の取り組みとしては、クラシファイド広告サイトの米クレイグスリスト(Craigslist)とグーグルマップ(Google Map)を組み合わせたハウジングマップ(Housingmaps)が有名だ。地図上にマークされた場所をクリックすると、その場所での不動産物件が表示されるという新たなサービスを提供するものである。また、先端的なマッシュアップ的な取り組みとしては、ドイツのBMWが、グーグルマップとカーナビを組み合わせたという例がある。会社のPCで受信したメールに添付されたグーグルマップ上の場所に行きたい場合、そのメールをBMWに転送するだけで、後はカーナビが誘導してくれるというものだ。

このようにマッシュアップの事例としては枚挙にいとまがないが、実際にマッシュアップを製作するのはプログラミングの知識のあるエンジニアの作業であった。そこでより広いユーザーが簡単な作業でマッシュアップできるようなプラットフォームの開発が進んでいる。前にも触れたが、米企業は、新たなテクノロジーを広く横展開するために、ユーザー・インターフェイスに優れたプラットフォームをリリースすることに長けているとつくづく思う。ふと気づいたときには、米企業のプラットフォームがグローバルなデファクトとしての地位を確立している。

マイクロソフトは、2007年5月にマイクロソフト・ポップフライ(Microsoft Popfly)というマッシュアップ・ウェブ・アプリケーションをアルファ版で発表した。ポップフライは、マッシュアップやウェブサイトの開発ツールであるポップフライ・クリエータ(Popfly Creator)と、マッシュアップを公開、共有したり、レーティングを付けたりすることのできるコミュニティであるポップフライ・スペース(Popfly Space)で構成されている。アルファ版ということで、アカウント作成は招待性となっているが、あるブログでマイクロソフトの社員が試用を呼びかけていたので、招待メールを頼み実際に私も使用してみた。

ポップフライを使う前には、ウィンドウズ・ライブ(Windows Live)IDの取得と、クロスプラットフォームのRIA(リッチ・インタラクティブ・アプリケーション)であるシルバーライト(Silverlight)をインストールすることが必要だ。ポップフライの画面では、左側に、フリッカー(flikr)やヴァーチャルアース(Virtual Earth)などAPIを公開しているウェブ・サービスのブロックが並んでいる。これらのブロックを右側のスペースにドラッグして、必要な条件を入力し、線でブロックどうしを結びつければマッシュアップの出来上がりである。例えば、コンサート情報を配信するアップカミング(Upcoming)と、天気予報情報であるウエザーバグ(WeatherBug)と、3D地図情報のヴァーチャルアース(Virtual Earth)とを組み合わせるだけで、「天候に恵まれてコンサートが開催される地点」がマッシュアップによって簡単に表示される。

ポップフライは、プログラマーでない人たち向けのノン・プロフェッショナルツールを開発することをミッションとするマイクロソフトのデベロッパー・ディビジョンのチーム(プログラミング用ツールであるヴィジュアル・スタジオ・エキスプレス(Visual Studio Express)も開発)が開発したものである。今はマッシュアップを使ったことはあっても作ったことがある人は少ないが、今後、ポップフライのようなプラットフォームが発達することで、マッシュアップのUGC(ユーザー・ジェネレイテッド・コンテンツ)が急増するだろう。

Web Office Suiteにマイクロソフトはどう対応するのか

ウェブOSは、まだ本格的な勢力とは言えないが、その革新的な取り組みは、マイクロソフトにとっては潜在的な脅威だろう。同社はMSNやXboxなどにも取り組んではいるが、以前として同社の利益の大半はウィンドウズとマイクロソフト・オフィスで稼ぎだしているのだ。そして、そのオフィス製品にも「ウェブ・オリエンテッド」のトレンドが吹き荒れつつある。

グーグルは、2006年3月にオンライン・ワードプロセッサ(文書作成)のライトリー(Writely)を買収して得た技術を、別途自社開発していたオンライン・スプレッドシート(表計算)と統合して、グーグル・ドックス・アンド・スプレッドシート(Google Docs & Spreadsheets)という名で提供している。無料のグーグル・アカウントを作成すれば、誰でもオンライン上で文書作成と表計算サービスが無料で利用できる。他のグーグル・アカウントを持っているユーザーと共同で編集作業することも可能だ。サービスがリリースされた当初は、日本語の文字化けやPDF印刷に不具合もあったが、今では私も問題なく使用している。グーグルのウェブメールであるGメール(Gmail)の利用者であれば、受信したメールにマイクロソフト・ワードの文書が添付されていれば、それをグーグル・ドックス・アンド・スプレッドシートで開き、その後も文書管理することも可能だ。

そして、グーグルは、2007年4月にプレゼンテーション作成ツールを手がけるトニック・システムズ(Tonic Systems)を、同年6月にオンライン・プレゼンテーションの技術を有するゼンター(Zenter)を買収した。これで、マイクロソフト・オフィスの全製品に相当するウェブ・オフィス・スイート(Web Office Suite)を提供する用意が出来た訳だ。

このようなウェブ・オフィス・スイートは、グーグル以外の新興企業も取り組んでおり、ウェブOS同様に乱戦気味である。グーグル以上に品揃えを持つのは、米アドベントネット(AdventNet)が提供するゾホ(Zoho)シリーズである。マイクロソフト・オフィスと同様に、文書作成(Zoho Writer)、表計算(Zoho Sheet)、プレゼンテーション(Zoho Show)をオンライン上で無料提供するだけでなく、メール(Zoho Mail)、スケジュール(Zoho Planner)、チャット(Zoho Chat) 、ウィキ(Zoho Wiki)、ノート(Zoho NoteBook)、プロジェクト管理(Zoho Project)、顧客管理(Zoho CRM)、データベース構築(Zoho Creator)、オンライン会議(Zoho Meeting)など、文字通りオフィスで必要な機能を無償で提供している。同社は、ITオペレーション、セキュリティ、データベース技術などを全世界8000社以上に提供している企業であり、今後エンタープライズ系のユーザー層を広げるポテンシャルを持っていると思われる。

続いて、米サンノゼのシンクフリー(ThinkFree)も、文書作成(ThinkFree Write)、表計算(ThinkFree Calc)、プレゼンテーション(ThinkFree Show)をオンライン版のサービスとして無料提供している。同社は、オンライン版のみならず、デスクトップ版、iPodでの閲覧を可能にするポータブル版も有償でリリースしている。シンクフリーのユーザー数は、2007年8月現在33.5万人であり、わずかながらゾホのユーザー数を上回っていると言われている。

これらの他にも、同じくシリコンバレーにあるジンブラ(Zimbra)は、ジンブラ・コラボレーション・スイート(Zimbra Collaboration Suite)の中で、Ajax(Asynchronous JavaScript+XML)ベースの文書作成や表計算のオンライン・サービスを提供している。

このように、グーグルに加えて、新興企業がウェブ・オフィス・スイート分野に参入している中で、マイクロソフトは何をしているのか。ビル・ゲイツの後を次いでチーフ・ソフトウェア・アーキテクトになっているレイ・オジーが陣頭指揮をとったとされるウィンドウズ・オフィス・ライブでは、中小企業での製品管理や顧客管理のための共同作業ツールをいくつか提供しているが、肝心のマイクロソフト・オフィスに代替するオンライン・サービスは提供していない。それは、仮に、オンライン・サービスを提供してしまえば、既存のオフィス製品が同社にもたらしている莫大な利益を損なうことになってしまうからであろう。同社は、ソフトウェアが全てサービスに置き換われることを意味するソフトウェア・アズ・ア・サービス(SaaS)という言葉を否定し、これからは、ソフトウェアとサービスが共存するソフトウェア・プラス・サービスの時代だと主張している。しかし、マイクロソフトのウェブ・オフィス・スイートへの対応を見ていると、「ウェブ・オリエンテッド」な破壊的テクノロジーが登場したことで、社内でジレンマが発生しているようにしか見えないのは私だけだろうか。

開発競争が激しいWebOS

ウィンドウズ・マシンにしろ、マッキントッシュにしろ、リッチなユーザーインターフェイスや高速かつ効率的なファイル管理など、ユーザーにはますます潤沢なIT環境が与えられるようになった。この環境を支えているのが、ウィンドウズ・ビスタやMacOSXなどのOS(オペレーティング・システム)である。OSはコンピュータの基幹であり、マイクロソフトにしろ、アップルにしろ、次期OSにどんな機能を搭載するかで熾烈な競争をしている。

「ウェブ・オリエンテッド」のトレンドは、ユーザー側のコンピュータ能力をどんどん無力化し、ネットワーク上で処理してしまう。OSが担っていた役割もネットワーク上で行うことができるようにしようというのが、ウェブOS(WebOS)である。ウェブOSは、コンピュータを昔のダム端末(メインフレーム・コンピュータから送られた文字列を表示するだけの機能しかない端末)のようにしてしまうテクノロジーだ。

ウェブOSという言葉は、コンピュータサイエンスの名門である米UCバークレー校で1996年に開始された研究プロジェクトの名前に由来するという。ウェブOSの研究はその後、米デューク大学などで継承されていた。そして、ようやく最近になって次々と実用レベルに耐えうるウェブOSが発表された。興味深いことに欧州発のものが目立っている。

ウェブOS開発競争の最前線に位置しているのが、スペインはバルセロナ発のアイOS(eyeOS)である。実際にアイOSを使ってみると、ウィンドウの拡大・縮小、ファイルの移動など極めてスムーズに動作しており、ブラウザだけで使用しているとは思えないほど快適である。アイOSはオープンソース・ソフトウェア(OSS)であり、アイOSの30カ国以上の言語への翻訳、テスト、バグレポート、アプリケーション開発などを引き受けてくれるエンジニアを広く求めている。無料のアイOSは、ネット上での寄付で賄われている。同社はOSSの強みを生かし、コミュニティからの声を開発内容に反映させる戦略をとっているが、OSSであるが故の悩みもある。フランス発のウェブOSであるマイブー(mybooo)が、アイOSの0.9.x版のソースコードを利用して自分達のウェブOSを開発し、それをプロプラエタリ(オープンでない)なソフトウェアとしてリリースしていると非難している。

アイOSに次ぐ位置にあるものとして、米国マサチューセッツ工科大学のコンピュータサイエンス学科の卒業生が中心になって開発したユーOS(YouOS)や、イギリスの大手ISP(インターネット・サービス・プロバイダ)であるメトロネット(MetroNet)の開発チームがリリースしたデスクトップ・オンデマンド(DesktopOnDemand)が挙げられる。また、ウィジェットについて述べた際に紹介したユアーミニズ(yourminis)を開発しているサンディエゴのグーウィ・メディア(goowy media)が開発しているグーウィ・ウェブトップ(goowy webtop)もある。このようにウェブOSを巡る開発競争は激化している。

そして、ウェブOS界に、米国で急成長中のSNSであるフェイスブック(Facebook)も乗り出してきた。2007年7月に、同社は、ファイアーフォックス(Firefox)の共同創業者であるブレイク・ロス(Blake Ross)とジョー・ヒューイット(Joe Hewitt)が設立した未公開のウェブOSを開発しているパレイキー(Parakey)を買収した。このパレイキーのウェブOSは未だベールに包まれているので詳細は不明であるが、オンライン上のコンテンツとオフラインのPC上のコンテンツを同期することができるという。フェイスブックはウィジェットのプラットフォームとなるだけでなく、オンラインとオフラインを繋ぐOSまで手に入れた。「フェイスブックOS」が次世代のプラットフォームとして一手を打つことになるのか。

Everything as a Service

米調査会社ガートナーのアナリストを経て、プライス・ウォーターハウス・クーパーズ(PWC,現IBM)の幹部であったヴィニー・マーチャンダニ(Vinnie Mirchandani)は、コンピューティング能力やストレージ・キャパシティなど、ハードウェアをサービスとして利用する形態を、ハードウェア・アズ・ア・サービス(Hardware as a Service: HaaS)と呼んだ。

”IT Doesn’t Matter.(ITはもはや戦略的価値を持たない)”の記事で有名なニコラス・カー(Nicholas Carr)も、「今やHaaSの時代である」と持ち上げ、その例として米セントルイスにあるサヴィス(Savvis)の仮想化ITユーティリティ・サービス・プラットフォームを自身のブログで取り上げている。このサービスは、従来のホスティングサービスとは異なり、仮想的に構築されたシステムによってコンピュータリソースを提供するものであり、1ユーザーに対して占有のブレードサーバーを提供するものである。ネットワーク環境に関してはノーテル・ネットワーク(Nortel Network)のシャスタ(Shasta)を、セキュリティサービスについてはインクラ・ネットワークス(Inkra Networks)のインクラシリーズを利用し、イージェネラ(Egenera)のブレードサーバーと3Par のヴァーチャルストレージシステムを、必要なときに必要な分だけ切り出して貸し出している。

ニコラス・カーは、同社のサービス利用者の事例として、2006年3月に米連邦選挙管理委員会が、今後5年間サヴィスのHaaSサービスを利用する契約をしたことを取り上げている。選挙管理システムは、選挙が行われるときにピークになる特質を持つため、ピーク時に必要な能力を基準にしてIT投資をすると無駄になってしまう。だからサヴィスのHaaSが最適なのである。

今や、ソフトウェアもハードウェアも全てサービスとして外部からその都度購入する時代になったのだ。いわば、エヴリシング・アズ・ア・サービス(Everything as a Service)の時代なのである。

このように米国でのウェブサービス提供ビジネスの成長ぶりを見るにつけ、日米の企業行動の違いをあらためて感じさせる。ウェブ上でのサービス提供ビジネスの本質は、自社のコア技術でない部分については、他社からサービスという形でその都度買ってくればいいというものである。米国のIT企業を訪問すると、いつもプレゼンの中に出てくるエコシステム(Ecosystem)というキーワードがある。大抵、プレゼン資料の中央に自社のロゴがあり、それを取り巻く形で多数のパートナー企業のロゴがある。この企業群をエコシステムと呼んでいる。エコシステムに明確な定義はないが、各企業のコア技術を持ち寄って、ベストなソリューションを提供することで、各企業ともにWin-Winな関係でありたい、というような意味で使用されていることが多い。

いつまでも自前主義に拘って、ノンコア技術を持ち続けていても、企業の成長にとってはむしろマイナスで、投資家達も評価しないという訳である。方や、日本の企業の中には、依然としてフルセット主義に拘り続けている企業も見受けられるようであるが、いかがだろうか。このようなアンチ自前主義は、ウェブ上でのサービスを提供する技術が進化し、SOAP(Simple Object Access Protocol)などの標準化が進展したので可能になった面がある。ノンコア技術であれば、必要なときにペイ・アズ・ユー・ゴー(pay-as-you-go)で他社から購入すればよく、コア技術に人的、金銭的な投資を集中投入することが可能になる。いわゆるウェブ2.0の代表的なテクノロジーとして取り上げられるマッシュアップ(Mash up)も、他社のウェブ上のサービスを公開されたAPIを通して利用するという他社依存型の考えに立脚している。「ウェブ・オリエンテッド」なトレンドは、エコシステムを形成するのである。

アマゾンは本屋を超えたウェブサービス企業だ

ウェブ上のサービスとして提供されるのは、出来合いのソフトウェアだけではない。セールスフォス・ドットコムは、2007年8月に「プラットフォーム・アズ・ア・サービス(Platform as a Service: PaaS)」という概念を発表した。これは、同社のオンデマンド・プラットフォーム向けの開発言語であるエイペックス・コード(Apex Code)を利用して、開発者にカスタマイズ環境を提供するという意味で用いられている。つまり、出来合いのソフトウェアを提供するSaaSを超えて、ソフトウェアの開発、導入、統合、設計、保存及び実行環境を提供するという意味でPaaSと呼んでいるものだ。

ソフトウェアだけでなく、ストレージ・キャパシティ(記憶装置容量)、コンピューテングパワー(計算能力)やセキュリティ環境もウェブ上のサービスとして提供できる時代になっている。アマゾンが提供するアマゾン・ウェブサービス(Amazon Web Service)がその好例だ。多くの人は、アマゾンは書籍のショッピング・サイトと思っているが、そうではない。グーグルと同様に非常に技術指向の強い会社であり、自社が提供するサービス向けに必要なサービスを社内で開発し、その成果を外販している。

アマゾン・ウェブサービスの代表格は、通常S3と呼ばれるアマゾン・シンプル・ストレージ・サービス(Amazon Simple Storage Service: Amazon S3)である。アマゾンS3は、世界中のどこからでもウェブベースでアクセス可能なストレージサービスを提供するものであり、スケーラビリティ(拡張性)、信頼性、スピード、安価な料金体系を売り文句にしている。また、アマゾンは、S3のコンピューティング(計算能力)版とも言えるウェブサービスもベータ版で提供している。通常EC2と呼ばれるこのウェブサービスは、アマゾン・イラスティック・コンピュート・クラウド(Amazon Elastic Compute Cloud: Amazon EC2)の略である。

このようなアマゾンのウェブサービスを利用する立場に立てば、大規模なサーバーの用意やデータセンターの構築を一から行う必要はなく、必要な時期に必要な規模のストレージやコンピューティング能力をアマゾンのウェブサービスとして買うことができるので、自社製品を市場に投入するまでの時間(Time to market)を大幅に短縮することが可能になる。また、最も重要なことは、自分でやらなくても済むことはアマゾンのウェブサービスに任せて、ユーザーは自分がもっているイノベーティブな仕事に注力できるし、限られた予算をコア技術に投入することが可能になる。実際、グーグルの対抗馬として有望視されている自然言語による検索エンジンを開発しているパワーセット(Powerset)は、アマゾンEC2を利用することで、全ての投資を優秀な人材に投入することができている。このようなウェブサービスの登場が、投資能力が限られた米国の新興IT企業の成長を支えている面もあると言えよう。

さらに、アマゾンは、ウェブサービス・ビジネスのターゲットをコンシューマーにも広げてきた。2007年8月に同社は、アマゾン・フレキシブル・ペイメント・サービス(Amazon Flexible Payment Service: Amazon FPS)を限定的ベータ版として特定の開発者向けに発表した。これは、アマゾン以外のショッピング・サイトの決済にアマゾンの決済サービスが使えるというものであり、アマゾンのアカウントを持っているユーザーならば、再度、個人情報などを入力しなくても買い物が可能になる。アマゾンは取引毎にわずかな手数料を得るビジネスモデルになっており、今後、アマゾンFPSを組み込むウェブサイトが増えるに従って、知らないうちにアマゾンFPSで決済するコンシューマーが増加し、アマゾンは相当の利益を得るものと見込まれる。

成長続けるSaaSビジネス

インターネットの登場により、コミュニケーションやソーシャル・ネットワーキングの有り様が変容した。また、国境を越えて、知識の習得や知の集積が容易に行えるようにもなった。さらに、インターネットは進化し、手元のコンピュータで行っていた情報処理をネットワーク側で済ませてしまうことも可能になった。ネットワーク上での処理を指向する「ウェブ・オリエンテッド(Web-Oriented)」なトレンドはどこまで突き進むのだろうか。

「ソフトウェアは不要(No Software)」のロゴを社是とするのは、オンデマンドCRM(カスタマー・リレーションシップ・マネージメント)のサービスを提供するセールスフォース・ドットコム(Salesforce.com)である。同社は、1999年にオラクルの幹部であったマーク・ベニオフ(Marc Benioff)が設立したソフトウェア・アズ・ア・サービス(Software as a Service: SaaS)の代表的企業であることは広く知られている。2007年4月末現在、全世界で32,300社もの企業がセールスフォースを利用しており、営業、マーケティング、カスタマーセンターなどを運営・管理している。日本でも、金融、流通、ソフトウェアサービス業など数多くの企業が同社のサービスを導入している。特に、日本郵政公社と契約を結び、2007年10月に発足する郵便局株式会社の顧客情報管理システムとして利用されることになったというニュースは話題を呼んだ。

また、セールスフォースは、アップエクスチェンジ(Appexchange)というオンデマンド・アプリケーションのマーケットプレイスを有しているのが特徴的だ。これは、同社のパートナー企業が開発したオンデマンド・アプリケーションを一元的に公開し、共有、インストールを可能にしたプラットフォームである。名もないソフトウェア企業の製品でも、セールスフォースのアップエクスチェンジに公開されることで、急激に顧客が増えた事例があるなど、ロングテール・ビジネスの代表的なモデルにまでなっている。

さらに、セールスフォースは、オンデマンド・アプリケーションの公開の場を提供するだけでなく、スタートアップ企業に対してオンデマンド・アプリケーションの開発の場も提供している。同社の本社がある米サンフランシスコ市内から車で40分ほどのサンマテオ市にインキュベーションセンターを抱え、世界から選び抜かれた30数社程度のスタートアップ企業が年間2000ドルほどの安価な料金で入居している。入居して2ヶ月ほどで製品のリリースを実現する場合もあるほど、インキュベーションセンター内で切磋琢磨した開発競争が行われている。日本でも同様の計画を持つというセールスフォースは、「No Software」を標榜にオンデマンド・アプリケーションの一大世界を広げようとしている。

SaaSビジネスのプレーヤーは、セールスフォースに限らない。石油大手シェブロン(Chevron)は、これまでサプライヤーからの製品管理システムを、自社内製のソフトウェアとEDS(エレクトロニック・データ・システムズ)に対するアウトソーシングで賄ってきたが、最近、オンデマンド・ソリューションを提供するケテラ・テクノロジーズ(Ketera Technologies)のサービスに切り替え、コスト削減に成功した。

SaaSベンダーについては、ケテラを始め、ルーシッド・エラ(LucidEra)、ワークデイ(Workday)のようなスタートアップ企業が予算管理や従業員管理のサービスを提供する他、タレオ(Taleo)、ライトナウ・テクノロジーズ(RightNow Technologies)、ネットスイート(NetSuite)のような老舗の企業も勢いを持つ。また、SAPやオラクルも、企業買収によりCRMやSRM(サプライヤー・リレーションシップ・マネージメント)など必要な技術を取り込んで、SaaS分野に急速に参入している。

米調査会社ガートナー(Gartner)の試算によれば、SaaS市場は、2006年の63億ドル規模から、2011年には193億ドルにまで成長すると言われている。ソフトウェアはどこまでウェブ・オリエンテッドになるのだろうか。